私が感じてた農家のイメージ
農家っぽくない農家になりたい‼︎
カッコいい農家になりたい‼︎
これだけは、農家になる事を決めた日からブレていません。
かつて、私の中の『農家』のイメージが……
汚い、ダサい、カッコ悪い、時間がない、儲からない………
っという、全く憧れない職業だった。
前回のブログhttps://zuiun-farm.hatenablog.com/entry/2018/11/24/173355に書いたように………
私は覚悟を決めて農家になりました‼︎
それなら、私が持っていたイメージを自分で覆せば良いじゃないか‼︎
そんな時、出会った三重県四日市市上海老町のきゅうり農家『百姓 しなやん』…
この人は農業に対して強い信念を持ち、農家でありながらフェスをしたり…今年はシンガポールで新たに農業でチャレンジする、とんでもない人‼︎
私の『農業』の世界が一気に広がる、キッカケになった人でもあります‼︎
人は人に影響される……
自分を変えたければ、環境と付き合う人を変えれば良い‼︎
私はそう思っています。
2018年はほんとたくさんの新しい方との出会いがあり、環境と付き合う人が変わった年……
イコール‼︎成長した年。
2019年、さらに挑戦する事がたくさんあり…
(この事はまた今度のブログに書きます)
ワクワクしてます♡♡♡
シャーーーーーーーー‼︎
気合い入ってます♡
あっ‼︎後1つ…………
私は結婚するまでの8年間保育士として働いていたのですが、当時…担任した1歳の女の子が現在、中学2年生。
その女の子のお母さんにバッタリ出会った時に言われた事が………
『○○(女の子の名前)、将来は奈緒美先生みたいにカッコいい農業女子に本気でなりたいって憧れてるよ』
私が農業をしている事はインスタで知ってくれているらしい♡
↑私のインスタアカウントです♡
えーーーーーーーーーーー♡
こんな嬉しい事ってあるのね‼︎
かつて、私は全く憧れなかった職業…
その女の子は今…私に憧れてくれている。
涙出るよ……
私、もっと頑張るね♡♡♡
最後まで読んで下さり、ありがとうございます♡
アスパラ農家を継ぐまで
3年前までは専業主婦でした。
3年前、私の人生を変える出来事……
それは、義父の死。
主人は田舎の長男……
同居する事が当たり前という風習の中、実家から10分程の住宅地に家を建てましたが…ご両親と別居する条件は毎週末、実家で夕食を一緒に食べる事‼︎
義父が亡くなる前々日も、家族で食事をしていました。
義父は風邪気味との事で、少し元気がなく今思うとあまり目を合わせてくれなかったような………
俯向き加減で、言葉少なく地区の会議に出かけた事…これが最後だった事、鮮明に覚えています。
義父の死の連絡は突然でした。
朝からアスパラのハウス周りの草刈りをし、家には遺書を置き………
倉庫で亡くなっていました。
悲しいという表現では表せない感情で家族が壊れそうでした。
どうして?理由は?
未だ、分かりません………………
優しくて、真面目で、人の悪口は絶対に言わない…
家族みんなが尊敬するお義父さんでした。
いや、家族だけじゃない‼︎
地区の人からも頼りにされるお義父さんでした。
そんなお義父さんが亡くなったので、主人は精神的に荒れ…息子もチックが出て、義母も塞ぎ込む…
アスパラはというと虫が大量発生‼︎
義母はアスパラを続けていきたいと言うけど、1人じゃ無理な規模。
主人は会社員…………
委託しようか???
そんな話で進みそうになっていたのですが……
『私が継ぐ‼︎』
『世界一のアスパラをつくる』っと頑張っていたお義父さんを想うと委託はやっぱり無理‼︎
お義父さんが生きた人生を無駄にしたくない‼︎
農業は全くもってやった事がなかったから迷ったけど、残された家族が前を向いていくには私がアスパラ農家を継ぐしかない‼︎
あの時の決断、今でも自分で…『よく決断したね』って思う………
やると決めたら、とことんの性格‼︎
義父の戒名の一文字をいただき……
『瑞雲(ずいうん)ファーム』
として、再出発したのが2016年6月。
『瑞雲』とは、めでたい兆しの時に出る雲…
お義父さん、空から見守ってね♡
ここまでが私がアスパラ農家を継ぐ事になり、人生を変える事になる出来事でした。
最後まで、読んでくださりありがとうございます♡